ユダヤ問題を衝く (六〜十・11) https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100383007 1941-12-02 満州日日新聞 (六) 支那事変とユダヤ人 世界攻略の別働隊日支危機蔭で煽る魔手に踊る重慶政権 本社 そうなると、フリー・メーソンはユダヤの世界攻略の別働隊になって来る、結局蒋介石はユダヤに利用されておるということになり、支那事変を解く鍵もユダヤ問題でなくてはならなくなる、一体彼等が支那―東洋に乗込んで来たのは何時頃からですか? 浜野 歴史的のあれから言うと西暦前三世紀頃支那にユダヤ人が来たことが書いてあるのですが、その後ずっと後になって河南省開封にユダヤ人が建てたシナゴーグ(教会)が約三百年位続いて、全く他の支那人とは結婚しないでユダヤ人だけの血族結婚をして、ユダヤのセッツルメントを作ったと云う歴史が残っておる、今 でも開封に行くと、その当時の石碑が残っていて、ユダヤ人の慣習を保持している、 例えば割礼をやるとか、その他のユダヤ人の習慣を守っておるために、あそこで監相回子と言われ、異教徒ということは知らないでおるが、当時のユダヤ人が最近まで残っておるという事実がある、 これと今日発展しておる我々が今日言うユダヤ人とは大分変ってはおるのですが、歴史の上ではそういうユダヤ人が古く支那に来たという事実が残っておる そうしてその後に来たユダヤ人が今の印度から来たサッスンの如きも、印度に持っておる三十億の資本の三分の二を支那に移したというのが近世の歴史のユダヤ史である 更に別の意味において今度のヨーロッパ大戦でユダヤの避難民あれが今日楊樹浦に入っておる 今日支那におけるユダヤ人は三つに区別しておる、 開封に来たもの、 それから印度から移って来たサッスンのような今日の既成財閥となっておるユダヤ人、 更にドイツを逐われた最も多□の三万以上の避難民、 斯う三つに区別して宜いと思うのです が歴史的のものを抜いてサッスン以後のことをお話したいと思う ユダヤ人から言わせれば、例えばソーファー等は上海はユダヤ人の楽園だと判っきり言っておる、 此処へ来ることはまるで自分等の発展の地として目がけて来ておる これは(冊子を示し)私の書いた諭文なんです が、サッスンが来たのは最初はダヴィッド・サッスンで一七九二年から一八六四年まで生存していた ...